「待って、早いよ…又兵衛」
「あぁ、これは済みません。いつも通りに歩いていました」
「うぅ、追いつけないよ…」
「申し訳ない。お疲れになりましたか?」
「ううん、そんな事ないよ」
「おぶって差し上げましょうか?」
「だ、大丈夫だよぉ」
「それにしては、息もあがっているし、お疲れのようですが」
「武士の息子が弱音を吐いて堪るかっ!大丈夫」
「…それでこそ、私の弟子です。ですが…」
「?」
「手ぐらいは。…はぐれたら、元も子もないですから」
差し出された手は大きくて、温かかった。
***
「気にくわないッ」
ハッキリと告げられた言葉に槍を振るっていた又兵衛は動きを止め、そう言った青年を見た。
「気にくわない、お前が」
睨むような眼と威圧的な声に又兵衛は槍を静かに降ろす。
「ならば、側に寄らなければ良いではないか」
又兵衛もまた冷たく、素っ気ない声で返し、側にあった布で顔を拭った。
「俺はここを通りたいんだ!お前が退けばいい」
まるで子どもが駄々をこねるようにそう言い、
長政は腰に手をあててその場から動く様子がない。
「俺は外で槍の訓練をしているだけだ。…気にせず通ればいい」
「見えるから不快だ」
「ならば、別を通れ」
「それは嫌だと言っているッ」
堂々巡りをし続ける会話。蝉の声がやけに五月蝿い。
「終わるまで待てば良い」
「終わる前に退けッ!さっさと別でやればいいだろ」
いつも、顔を合わせれば言い合いになる。
それを知っているから、
大人の余裕のある又兵衛は溜息一つで場所を移動しようとする。
だが、その又兵衛の背に向かって
「父上が可愛がるからと言って、いい気になるな。部下の分際で」
と長政は吐き捨てた。
それに又兵衛が振り返る。
「お前のそういう態度が嫌いだッ!!
俺よりも大人だってひけらかして、俺を内心馬鹿にしているんだッ。
その武勇も、その知謀も俺より上だって…。
父上に愛されるお前など好きじゃないッ」
長政は半泣き状態で、怒鳴る。
又兵衛の切れ長の眼がスッと細くなる。
「気に入らなければ、殺せばいい」
ハッと長政が目を見開く。
「俺がいるのが邪魔ならば、殺せばいい。
俺はお前を馬鹿にしたことも、如水様に媚びたこともない。
嫌いなら嫌いで構わない。好かれようなどとは思っていない。
俺の武勇が憎いか?」
「あ、当たり前だ」
「なら、躊躇う事はない」
又兵衛は長政の立っている側まで来て、刀を抜いた。
「俺の腕、…斬ればいい」
「え?」
長政は差し出された刀を唖然と見つめる。
「俺の知略が憎いなら、袈裟懸けに斬ると良い。
何、お前のせいにしようとは思わん。俺の不手際だと言えばいい」
「お前ッ…、何を言って…」
又兵衛は小さく息を吸って、長政を直視した。
「お前が苛立つ程に俺が憎いのなら、これしか道はない。
俺はなるべくお前に近寄らず生活してきたつもりだ。
だがお前は俺を目障りだという。それなら、一番の近道は……」
「殺せと?」
「あぁ。戦う事が出来ないようにするなら、
腕だけでも構わんがな」
長政は威圧的な又兵衛の視線に自然と刀を手にしていた。
「躊躇うと俺が痛い。躊躇わずに、斬れ」
長政はギュッと刀を握った。
だが、その手がカタカタと震え出す。
又兵衛は静かに瞳を閉じ、その右手を長政に伸ばした。
なんの抵抗もせず、この男は斬られるというのか?
長政は愕然とする。
そして、何処かで斬れない事を知っていた。
***
「又兵衛、手ぇ繋いで」
大好きな大きい手。温かなあの人の手。優しくて、力強い。
「ねぇ、繋いで」
せがめば、その手は必ず側にあった。
せがまなくても…それは何時でも近くにあった。
危なくなれば、その手が守ってくれる。
”嫌い”だと言いながら、あの人はその手で守ってくれた。
小さな頃、お互いがお互いに大切であったあの日と同じに、
その手は失えないものだった。
***
「ッ」
音を立てて、刀が落ちた。又兵衛がその音に眼を開く。
「吉兵衛?」
「お前の腕を切り取っても俺にとってのお前が変わる訳じゃない。
お前が死んでも、お前を慕う者がいなくなる訳じゃない。
俺はお前のそういう所が、嫌いなんだっ」
長政は俯きながら、呟くと足早に立ち去った。
残された又兵衛は落ちた刀を拾い、見つめた。
***
「俺が欲しいのは、こんな事じゃないのに」
長政は廊下を足早に、溢れる涙を拭った。
差し出されたのが、あの時と同じ手だったなら。
「ほら、松寿様」
そうしたなら、俺はきっとその手を取り、お前と共に過ごしたのに。
もうあの手は差し出される事はないのだろう…。
終
*前のHPから持ってきたものです。
なんだかスランプだったので、展開がやけに早くてすみません…。
最高潮にこの二人の仲が悪い状態で書いてみました(たぶん)
同時に個人的に二人のキーワード、”手”を強調してみたり…(オイオイ)
長政はツンツンデレなので、言いたい事と言う事が違います。
又兵衛は何時でも大人の余裕。
長政が素直になれない分、又兵衛が押せ押せで行けばいいのに、
軽ーく譲っちゃうもんだから話はこんがらがる訳で…。
大人の余裕というか、ただ単に疎い気もします。
前回はHPに出せなかった又兵衛視点も同時にUPしました!