「うーん…」
枕元で目覚ましが盛大に騒ぎ立てる。
時刻は七時。
手を伸ばし、未だに騒ぎ続ける目覚ましを探す。
見つからないので布団に潜り込んで抵抗を試みる。
だが、抵抗むなしく布団は何者かに取り上げられた。
「ミク?そろそろ起きなさい。」
「ん〜…おはよう、るかおねーちゃん。」
まだ寝足りないけど、ここで起きなければ確実に遅刻してしまう。
…髪の長さが故に。
「ほら、顔洗ってご飯食べなさい。じゃないと遅刻するわよー。」
「わかってるー…」
起こしに来てくれたのは、4歳年上のルカお姉ちゃん。
6ヶ月前に留学先から帰ってきたばかりだ。
まだ覚めきってない目をこすりながら洗面所へ向かい、手早く顔を洗って食卓に向かう。
コーヒーとトーストに、サラダと卵焼き。
なんと爽やかな朝食か。
でも最近ちょっと和食が恋しい気もする。
「明日はご飯と味噌汁と焼き魚予定ですのでご安心なさい妹様?」
ルカお姉ちゃんがクスクスと笑いながら言う。
そ…そんなに顔にでてたのかな?
「だ、大丈夫だよ!凄くおいしいし、折角作ってもらってるわけだし…」
「んー、今更だけど、三年も一人にさせちゃったんだから…
もうちょっとワガママ言ってくれてもいいのよ?」
ルカお姉ちゃんは頭が良い。
姉妹なのに何でこんなに差があるの!?と、
夕日に向かって走っていきたくなるくらいの差がある。
胸についても…胸囲の落差社会とはよく言ったもの…誰が旨いこと言えと。
毎晩牛乳飲んでるのにちっとも…
と、そんな話じゃなくて、あまりに成績がよすぎる為、
大学の方に飛び級してもいいんじゃないかと、職員会議になったとかどうとかって噂もある。
そして持ちかけられたのが留学の話だった。
姉がこっちで通っていた…私も同じ学校だが、中高一貫の私立学校で、
ピアプロ学校…音楽に関することであれば全国トップの専門学校のようなものである。
しかも卒業すれば隣接して建っているクリプトン音楽大学へのエスカレーターだ。
その姉妹校が海外にあり、三年間そっちで勉強してみないか。ということだった。
そして、その留学の話と同時に、歌手としてデビューしないか。という話も持ちかけられた。
この学校は、「成績に関係なく個人の能力が認められた場合」、
学校を事務所としてプロデビューさせる事がある。
もっとも、かなり秀でた能力のある者にしか声はかからないし、
デビューしたとしても、卒業するまでは学校に通いながらの活動になる。
ルカお姉ちゃんは留学の方に興味があったけど、
私が中等部に入学したばかりだったから凄く悩んでいた。
でも、私の為に自分のやりたいことをやらないと言う事だけはさせたくはなかったから、
そっと背中を押した。
…お姉ちゃんを送り出したものの、一人でどうしようかと思っていた時に、
隣に住んでいたルカお姉ちゃんの先輩のハクさんが手を貸してくれた。
ハクさんの弟のデル先輩はルカお姉ちゃんと同級生。
家は昔から隣同士だったから、小さい頃から面識はあった。
ハクさんは…もう一人のお姉ちゃんみたいで、よく遊んでもらった。
デル先輩はお兄ちゃんだった。
いじめられるときもあったけど、でも時々凄くやさしかった。
5歳か6歳の頃、小さいネコを見つけてずっと追いかけていったことがある。
気づいたら夕方で、自分がどこにいるのかもわからなくて。
…ちなみに中等部に入学してから自覚したが、私は結構な方向音痴だ。
校舎内で10回は迷った。
そしてどこなのかわからない空き地で泣いていたところを、
自転車に乗ったデル兄に発見された。
泣いてる私を見ての第一声は「うるさいから泣くな。」だった。
頭をなでてくれた。
自転車の後ろに乗せられて家の前に着いたとき、
心配そうにオロオロしていたルカお姉ちゃんに泣かれた。
ハクお姉ちゃんは、「カイトの家に遊び行った帰りに見つけた。」という
デル兄の言葉を聞いて微笑んでいた。
そして、お母さんに怒られた。
今だからこそわかる。ハクさんが微笑んでいた理由。
…私が泣いていたあの空き地は、カイト先輩の家とは全く逆の方向だったから。
……いつ頃からだったかな。デル兄からデル先輩って呼び方が変わったのは。
「うーん、ワガママかぁ…私には思いつかないや。」
「あら…残念ね。」
朝食を食べ終えて身支度をする。
好きで伸ばした髪に朝の時間の大半を取られるが、まぁ仕方ない。
「さて?姉上殿は今日はどんな用事がおありですかな?」
「私は特に…あぁ、大音楽祭の打ち合わせするからってメイコ先輩とハク先輩に呼ばれてたっけ。」
「大音楽祭の打ち合わせ…?お姉ちゃん達何かするの?」
「メイコ先輩が今年のステージでの演奏全部私達でやるぞーって。
…あと、大トリは私が貰うわ!とも言ってたわね。」
「メイコ先輩とハクさんとお姉ちゃんって言うことは4年前の生徒会の…?」
「そう、私とデルとカイト先輩とハク先輩とメイコ先輩。」
大音楽祭。
元々はただの文化祭だったが、4年前のピアプロ学校の「伝説の生徒会」が
文化祭の代わりに企画したもので、簡単に言えば三日間ぶっ続けで行う「超規模文化祭。」
ピアプロ学校と、隣接するクリプトン音大がこの祭りの時、
一時的に、そのままの意味で「街の中心」になる。
これを企画した当時の生徒会長、メイコ先輩の一言。
「普通の文化祭じゃつまんないわ。
…よし、街と近隣の学校全部巻き込んじゃおう!」
という物だった。
そして、その時の副会長であり、メイコ先輩の親友のハクさんが概要を完璧な物にして、
カイト先輩の謎の人脈によって都知事を言いくるめて道路やバスを確保し、
デル先輩とルカお姉ちゃんがピアプロ学校から割と近場にある学校を引き入れた。
そしてそれは大成功する。
ピアプロ学校とクリプトン音大合同の最大のお祭りは、街で最大の祭りとなった。
他の学校まで引き入れたのは広さの問題からである。
もとよりピアプロ学校、並びにクリプトン音大は学校としては規格外の広さだが、
ここだけでやるなら狭くなるだろうというハクさんの見立てからだ。
それを解決するために、周辺の学校のいくつかに協力を要請する事にした。
男子校女子校共学一校づつと、意味なく旨い具合具合にバラバラだが、好都合だった。
メイコ先輩は女子校にデル先輩を向かわせて、男子校にはルカお姉ちゃんを向かわせた。
共学の所には二人で。
学校一つをいきなり動かすならその学校の生徒を動かした方が早い。という考えだった。
ピアプロ学校高等部1年のルカとデルといえば、
「この街の学生で知らない者はいない」というレベルの美男美女だ。
放課後の男子校、女子校の生徒会室にいきなりそんな二人が現れてお願いしてきたら…
少なくとも、デル先輩の向かった女子校はわからないけど、
ルカお姉ちゃんの向かった男子校の方であれば想像はつく。
妹の贔屓目かもしれないけど、目にハートでも浮かべながら
二つ返事で了承したのではないだろうか。
あの姉にはそれだけの「破壊力」がある。
結果的にルカお姉ちゃんとデル先輩は、きっちりと協力することを決定させて帰ってきた。
完全にメイコ先輩とハクさんの想定内の事だった。
ただ学校に協力を要請しただけでは、特に移動面での不都合がある。
よってカイト先輩の謎の人脈を使って、学校間の道路と学校間無料直行バスを確保した。
これだけじゃ楽すぎるから。と、カイト先輩は周辺の住民やお店、警察すらも取り込んだ。
めんどくさい事は警察の方にカバーしてもらえばいいし、
出店などは住民の方々によって色々なものが並ぶ。
まさに街すべてを取り込む形になった。という訳だ。
協力を要請した各学校や街中には大型のモニターが複数設置され、
ピアプロ学校のメインステージなどが中継される。
ピアプロ学校を卒業した有名アーティストや、在学中のアイドルや歌手などのステージだ。
盛り上がらない訳がない。
当然、生徒による出店も各学校で行われる。
そして、この強大なお祭りの中心となり、
ただの5人で取り仕切ったメイコ先輩を筆頭とした生徒会は伝説となった。
尚、余談だが、この5人の知らないところにあるファンクラブもすさまじい規模だった。
咲音メイコ親衛隊、ハクさんの弱音を聞き隊、にいさんを愛でる会、
デル様にスルーされ隊、ルカ様に踏まれ隊…etc。
留学先から帰ってきたルカお姉ちゃんも含めて、この5人はクリプトン音大在学中で、
今も尚、猛威を振るっている。
この5人は何もこの伝説だけで有名なわけではない。
そもそも、音楽関係の能力でこの伝説より前から有名だった。
音楽に関することなら何でもやれるこの学校で、ルカお姉ちゃんは歌とピアノが秀逸で、
バレエも完璧だった。
有名な劇団と劇場でヒロインの代役の依頼が来たこともある。
メイコ先輩はいわゆる「歌うこと」に関しては歴代の卒業生の中でもトップ3には入るらしい。
ハクさんは楽器なら何でもひけるし、ダンスも凄いとしか言えなかった。
今でも時々高等部の先生から頼まれて指導しに来てくれる。
カイト先輩は男の人にはあり得ない音域まで歌えて、
有名なオペラ歌手にも難しいとされる戯曲も簡単に、かつ完璧に歌ってのける。
ギターも凄いらしい。
デル先輩は、ハクさんと同じく楽器ならなんでもできるみたい。
その中でもギターやベースは天才って言っても差し支えないくらい!
そんな5人が今年の大音楽祭で演奏と歌を披露する。
「今更だけどルカのお帰り会だー!だって。メイコ先輩相変わらずなんだから。」
大音楽祭を最初に企画した生徒会の面々が、もはや伝統となった大音楽祭でステージに立つ。
とんでもないニュースだった。
「メインステージで歌う人の伴奏も…するんだよね?」
「そうみたいよ。」
「……ど、どうしよう…!緊張してきた…!」
「どうして?…まだ大音楽祭まで2週間あるじゃない。」
実質、祭りの規模を考えれば後2週間しかないのだが。
「…私…高等部1年代表…」
「あら、よかったじゃない。おめでとう。」
「デル先輩やお姉ちゃんの伴奏で歌うなんてっ!…うれしいけど…うれしいけどっ…!」
私から見ればこの、お姉ちゃんを含めた5人は本当に「雲の上の人」のような存在で、
そんな人たちの前で私なんかが歌っていいのかと……頭を抱えて首を横に振る。
「無 理!やっぱ無理ー!そんなプレッシャーどうすればいいかわかなーい!」
「ミク!とりあえずツインテールが危険だから頭をぶんぶんするのはやめなさい!」
そんな朝のやりとりをしていると、チャイムが鳴った。
「ミクー!迎えにきたよー!え?今着替え中だと!?乗り込んでいいですかー!」
同級生のネルちゃんの襲来。
朝から元気いっぱいです。
「あちゃ、ネルちゃん着いちゃった。」
はいはーい。と、ルカお姉ちゃんがパタパタと玄関に向かう。
「いつもご苦労様。ごめんね、ミクの髪、手間かかって。」
「ご機嫌麗しゅうルカ姉様!」
ネルちゃんはいつも調子と元気がいいです。
「何か飲み物でも飲んでく?」
「いやー、ルカさん、きっといつも通りのタイミングですよー。」
「…あ、そうみたいね。」
「ごめんネルちゃん!おまたせー!」
「きたかミク隊員!では出撃してきますルカ元帥!」
駆け出すネルちゃん。
正直陸上選手顔負けのスピードです。(当社比)
「そ、そんな本気で走らなくても!…いってきまぁーす!」
「はい、いってらっしゃい。転ばないようにね。」
背中越しに手を振って、ネルちゃんに追いつくために走る。
今日は待っていてくれたようだ。
時々、そのまま学校の前まで疾走して行くときもある。
「いやー、今日は走るの飽きちゃった。」
「道路の真ん中で寝ちゃだめだよー?」
「いやいや、それは流石にないっすよミクさん!」
昨日みたテレビだとか、メイコ先輩の新曲格好いいよねーとか、
取り留めのない話をしながらゆっくりと学校に向かう。
「あっはははは、そういうのは結構好きだけど……お?……」
「ん?どうしたの?」
私の方を見て、にやーっと意地悪そうに笑う。
「ほら、前の方にミクの王子様がいるよ?」
「えっ?」
言われて慌てて前を見ると、前を歩くギターケースを背負った銀髪が目に入った。
あれは間違いなく…朝ご飯を食べていた時に思い出した事も含めて、
その人の顔が浮かんできた。
…一気に自分の周りの温度が上がった気がした。
「あっはっはっはっは、顔真っ赤になってる!やっぱミクは乙女だねぇ!」
デル先輩の後ろ姿だけで真っ赤とはねぇ。と、からからと隣でネルちゃんが笑う。
「ちょ、ちょっとネルちゃん!」
こ、こんな会話聞こえちゃったら…!
「大丈夫だって、ヘッドフォンつけてるし。…うっわ、耳まで真っ赤っか!
ミクかーわいいいいいいぃ!!」
何故こうも私の周りには心を読む人がいるんだろう。
ルカお姉ちゃんしかりネルちゃんしかり…解せぬ……
「そ、そんなお腹抱えながら笑わなくても……。」
「だってミクさんわかりやすいんだもん!すっげーおもしろいんだよミクさんは!」
「や、やっぱりわかりやすいの?」
「うん。」
そ、そんな急に真顔になって頷かなくてもいいと思うんだけど!
「ていうかミク、家隣なんだから突撃して告っちゃえば?」
「え、ええ!?」
「しかも幼なじみなんでしょ?」
「確かに隣だけど!幼なじみだけど……ぅぅ……だってハクさんもいるし…」
「じゃあ今突撃して告白すればいいんじゃなーい?」
……あ、あれ?そ、そーだよね!今ならハクさんもいないし家隣だし幼なじみだし!
なにこの展開?おいしい展開?ゲームみたいな?
「…って乗せられてたまるかー!」
「ちっ…」
「それに幼なじみって言っても…ルカお姉ちゃんのほうが…。」
「ん?ルカさんが何?」
「…何でもない。」
「でもおはようくらい言ってくればいいのに。」
もしかしたら笑顔で返してくれるかもよぉ〜?と、
これまたさらに意地悪そうな顔で私を見てくるネルちゃん。
…流石にこれは一矢報いなければなるまい。
…よし。
「…あ!リンちゃんとレン君だ!おーい!」
そこにいるかのように一点を見て手を振る。
双子のリンちゃんとレン君。
ピアプロ学校中等部の2年生。
中等部に入学してきたときから才能を買われ、既にプロとしてデビューしている。
そして、私の隣にいるネルちゃんは、レン君の大ファンなのです。
「え!?うそまじどこにいるの!?どこよ!?」
「嘘だよ嘘ー。」
「あー、ひっどい!親友に嘘つきおってー!」
「散々私をからかったじゃない。おあいこよおあいこ。」
ふふん。と笑う。
一矢報いる事ができて私は満足です。
くそう…と言う声が聞こえる。
そして何を思い出したのか、あっ!と顔を上げた。
「そういえばレン君のサインは!?貰ってきてくれた!?」
「あー、ごめん忘れてた…。」
ネルちゃんはレン君のサイン目当てで中等部に突撃したことがある。
ところが、高等部の女子と、何故かクリプトン音大の女学生の壁に阻まれて
近づくことすらできなかったという。
そして、その大勢のファンからレン君が逃げるので、未だに事態は収束していない。
そこでネルちゃんは私にサインを頼んだ。
…私も在学中デビューと言う奴で、特にリンちゃんと一緒に仕事をする機会が多い。
よって、私がリンちゃんに頼んで間接的にレン君にサインを貰う方法がとれる。
「忘れるなんて…ひどいよミクさん…」
「ごめーん…で、でも近い内リンちゃんと一緒の仕事あるから!」
「次は確実に頼むよ!」
「お任せあれ!」
そんな話しながら学校の前につく。
デル先輩はクリプトン音大の門をくぐっていった。
瞬間、いわゆる黄色い声が聞こえてきた。
ファンが待ちかまえていたらしい。
「大きい壁がありますねぇミクさん。」
「言わないで…」
ネルちゃんはおそらく、ファンクラブの事を言ってるんだと思う。
私の思い浮かべる壁は…
確認を取った訳じゃないし確証もない。
ただもしかしたら。と思ってしまった一つの可能性。
六ヶ月前にルカお姉ちゃんが帰国した時。
ハクさんとデル先輩とで迎えに行った時。
お姉ちゃんがただいまって言ったとき、あまり表情を変えないデル先輩が…
少し微笑んでいた気がした。
もし、万が一デル先輩がルカお姉ちゃんの事が好きなら…
「かなわないなぁ…」
不覚にも声にでてしまったらしい。
「なんと!?高等部一年のトップアイドルのミクさんがたかがファンごときに敗北宣言!?」
「…へ?」
「これはうまく脚色して噂をばらまかないと!」
「え…いや…ちょっと!」
「こいつは おもしろくなってきたあ!」
「ええっ!?ちょ…やめてよネルちゃん!勘弁してええええ!」
イーヤッホオオオゥ!と叫びながら教室に向かって疾走するネルちゃんを追って、
私も全力疾走を開始した。
Episode 1 通学路 終