「大膳を呼べ」
「え?」
忠之の言葉に、傍にいた部下が目を丸くする。
その拍子抜けた声に、忠之は眉を寄せてにらむと
「大膳だ。聴こえなかったのか?大膳を呼べ」
と再度口にする。
だが、相手は戸惑ったような表情を見せ、言いづらそうに
「あ、あの、ご冗談ですか?」
とすら言う。
「何をっ」
言っているのだッと怒鳴ろうとしたのを部下は慌ててさえぎって、
「栗山様は一年前に、南部山城守お預かりになられましたが‥」
と口にした。
その言葉に忠之はしばしの沈黙の後、
「そうか‥、そうだったな」
と口にし、俯くと
「もういい、下がれ」
部下を下がらせた。
「‥もう、いないのだったな」
よく大膳がいた場所を見て、想う。
もっと昔、己がまだ子供だった頃を。
「いつでも、傍にいたのに‥な」
いや、いろと命じたのは幼い頃の自分か。
傍に、あの男がいて欲しいと常に想っていた。
あの頃の想いに言葉をつけるのなら、
なんと呼ぶだろうか?
幼い心に、モヤモヤとあったあの気持ちを。
***
「利章は?」
万徳丸は傍にいた善助に己の部下の居場所を尋ねた。
朝、目が覚めるともうその姿はなく、
慌てて起きてきたのだ。
「あぁ、それならば長政様に呼ばれて出て行きましたが」
心配せずともすぐ戻りますよと言う善助に礼を言うと
万徳丸は乗り慣れた馬に跨ると城を目指した。
「父上はずるい」
思わず馬上で呟く。
「‥利章は、俺のものなのに」
いつも、独り占めだ。
「今日は俺が利章と一緒にいると先に約束した」
昨夜、寝る前にした約束を思い出して、万徳丸は拗ねたように呟く。
「利章は俺だけ見ていればいいのに」
どうして、父上ばかり。
どうして、父上を優先するんだ。
それが、不満でならないのだ。
それでも、父より己が勝っていると思えることがあるから
万徳丸は利章を信じていた。
”貴方が私の主ですよ。‥私は貴方のものです”
そう、利章が口癖のように呟いてくれる。
それだけで、満足だった。
父より己の方が大切にされていると思えるのだ。
「利章は俺だけ好きでいればいいんだ」
だって、俺のものだ。
それが、唯一の自信。
裏切られることなどないと思える、唯一の絶対。
「利章に言えば、父上より俺をとるに決まっている」
万徳丸は馬を駆けた。
一刻も早く、利章を連れ戻したくて。
***
城につくと人への挨拶もそこそこに
己の父の部屋を一直線に目指した。
聞こえてくる話し声が利章だと分かるといてもたってもいられなくなって、
襖を開けようと手をかけて‥やめた。
父の声が静かに、だがはっきりと
「利章、万徳丸を川に沈めて殺してくれ」
そう言った。
背中に冷たいものが走る。
「一体、何を言っていらっしゃるのですかッ!!」
利章の声が怒鳴るように聞こえてくる。
「言ったままだ。あれは、次期当主には向かない。
だからこそ、川に沈め、溺れ死んだように見せかけて欲しい」
「なっ!?‥何故、そのようなことを私に」
「利章が万徳丸に好かれているからだ」
父の言った言葉に万徳丸は愕然とした。
絶対だった利章の言葉の効力が音を立てて
崩れていくのを聞いた。
「‥利章は、俺を殺そうと?」
していたのか?
嘘だと拒絶する自分と、既に疑いつつある自分。
何故か、涙が頬を零れてきて、慌てて万徳丸は涙を拭った。
だが、それは止まることなく、零れ落ちてしまう。
口から漏れるのは
「とし、‥あきら」
兄であり、部下であり、絶対の存在だった人の名前。
まだ、続いている父と利章の言葉なんて耳に入らない。
胸の中、渦巻いている様々な感情に心が追いつかない。
その中でも名前をまだつけられないでいた感情が
胸を締め付け、心を乱す。
それが苦しくて、嫌で、
奥のほうでドロドロと流れる怒りや、恨みに逃げる。
「なんで、なんで俺を裏切ったっ」
信じていたのに。信じていたのに。
「所詮、利章も父上のものだったんじゃないか」
何を自分は勘違いをしていたのだろうか?
何故、自分はあれに頼ろうとしていたのだろか?
名前も分からない感情に苛まれる位己が苦しまないといけないなど、おかしい。
「利章は俺の部下なのだから、苦しむのは利章だ」
じゃなければ、おかしい。
「二度と、あんな男を信じたりしない」
裏切られたんじゃない。
俺が元より信頼していなかったんだ。
そう思った途端、フッと胸が軽くなった。
なのに、奥のほうで‥まだ名前のない感情が消えたくないと渦を巻いていた。
***
「あの時の、感情に名をつけるのなら」
恋、だったのだろうか?
「俺は‥大膳に、恋していたのか?」
ありえないと鼻で笑う。
だが、思い出せば思い出すほどに
あの時の苦しい感情は恋だと想う自分がいる。
「そうか、‥俺はあれが好きだったか」
もう、いやしないのに。
呼ばれることも、触れることも叶わないというのに。
「今更、あの時の感情に名前などつけなければ良かった」
知らずにいれば、
今あの時と同じように苦しいと思う自分はいないのに。
「何故、俺がまた苦しい思いをしているのだろうな」
バカらしいと口から自嘲が漏れた。
それなのに、呼べない、触れられないと思った途端につのっていく。
「‥利章」
”はい”と声が返るのを期待して、忠之はポツリと呼んだ。
――もちろん、声が返ることなど‥もうないのだが。
終
*子供の頃を書かせて頂いたので、
だったら長政のせいで仲が悪くなる辺りも書くべきだろ!と思い、
書いてみました。
けど、大膳がいなくなった後の忠之の回想という形にしました。
そのうち、がっつり書いてもいいように‥(え)
‥か、書かないかもしれないですが‥。
順を追わないと先に進まないような気がしたので、
先にここら辺を書きたいなぁというのもあったんです。
でも、蓋を開けたら忠之と実は両思いだったんだよ!という
知らないでいい(個人的に)事実が暴露されただけでした‥(汗)
けど、徳寿丸の初恋(とは呼べないけど)は大膳ならいいなぁと思います。
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