いきなり降ってきた雨に高虎は
訓練していた手を休めて、縁側に腰掛けた。
僅かに肩や足に痛みを感じて、苦笑する。
”雨の日になると多いな‥”
梅雨時になると古傷が痛むといったのは誰なのだろう。
怪我を負ってからだいぶ経っているのに
この時期ばかりは古傷が疼く。
”早く止まないだろうか”
ぼんやりと庭を眺めていると
「休憩中かな?」
柔らかな声が尋ねてきた。
振り向けば、己の主が腕になにやらたくさん抱えて
にこやかに微笑んでいる。
「あ‥ひ、秀長様っ!それ、持ちますよ」
「大丈夫だよ。‥あぁ、雨が降ってきたんだね。
これじゃ、槍の練習もできないね」
秀長は呟くと、その場に持っていたものを置き
隣に並んで座った。
「あ、あの‥お仕事は?」
「ん?‥終わってないけど、‥良いよ。
高虎も休憩中だから、私も休憩」
笑顔でやんわりと言われては
「仕事をして下さい」とも言えないし、
本音としてはゆっくり休んで欲しい気持ちもあるので
「そうですか」
としか高虎は口に出来なかった。
「雨が降ると涼しくなっていいね」
主が少しだけ嬉しそうに言う。
その、耳に心地よい声を聴いていると、
ズキッと一瞬激しく古傷が痛んで思わず
声にならない、声を上げてしまう。
「どうしたの、高虎?」
「い、いえ‥別に」
「何処か怪我?」
「いえ‥ただ、古い傷が痛んだだけなので」
心配そうに向けられた顔に笑って返せば、
突然頬に触れられる。
「ひ、秀長様?」
「古傷以前に、怪我をしているよ」
「え?」
秀長の細い指がそっと頬を撫でる。
そういえば、ピリッとした痛みがあるような気がする。
「何処で傷つけたの?切り傷になっているよ」
「え‥、あっ、た、たぶん、木の枝に引っ掛けたんですよ。
よくやるので」
「そう?」
とても心配そうな表情になった秀長に高虎は慌てた。
「大丈夫ですよ、こんな傷!
舐めておけば治りますし、すぐくっつくんですから」
主に悲しい顔をさせたくないと、
その思いだけで咄嗟にそう口にして笑う。
その瞬間、ずいっと秀長が迫ってきて、顔が近くなる。
「えっ?」
時間にすれば、ほんの一瞬。
何秒‥という程度だっただろう。
だが、それはあまりにも高虎の記憶に生々しく残る。
「舐めておくと治るでしょ?」
にこっと笑う秀長は、もう既に先ほどと同じ位置に座って、
高虎を見つめている。
見つめられている高虎は頬に触れて、一気に真っ赤になった。
――確かに今、‥触れた
間違いなく、秀長の唇が頬に触れて、
そして軽く舐められた。
ほんの一瞬だったが、忘れるはずがない。
まだ、触れているようなそんな感覚が残っている気さえする程だ。
「なっ、なにをしているんですか」
思わず慌てるが、秀長は不思議そうな顔をするだけ。
「本当に舐めてどうするんですかっ!」
「だって、ほっぺでは自分で舐められないよ?」
「そういう問題じゃないですよっ!!」
本当に、びっくりしたのだ。
同時に、自分の理性とは離れたところで
何かが爆発しそうでとどめるのが大変だったのだ。
だが、秀長はそんな高虎の気持ちも知らず、微笑むと
「痛くない?‥治った?」
そう尋ねてくる。
ここで、普通は「そんなの例えですからっ」と
怒鳴りたかったのだが高虎は、この笑顔には弱い。
照れ隠しに、己の頭をくしゃっと乱した。
「‥痛くないですよ。秀長様が、な、舐めてくださったから」
もう、痛いとか痛くないとかそういう問題じゃない。
鼓動のせいで、そんなものどうでも良くなってしまった。
押し留めていなければ、自分の髪を乱した手が
主に伸びていたかもしれない。
そんな危うい状態にあるにも関わらず、
何も知らない秀長は嬉しそうに
「そう。‥良かった」
と嬉しそうに笑うので、そんな本音も言えず、
困り果てるしかないのだ。
”‥切り傷は傷跡が残らないが、
もし残って来年の梅雨時になって痛んだら
今日のことを思い出しているところだった‥”
良かった、切り傷は残らないで。
そう思って、安堵する。
だが、秀長が次の瞬間、
「ねぇ、高虎。
私がそうすることで、高虎の痛みが和らぐなら
痛いところ全部、舐めてあげる」
などと言ったものだから、
おさまりかけていた熱が戻ってしまい、
高虎はまた赤くなった。
どころか、自分の若さを呪いたいくらい
一瞬どうしようもないことを考えてしまって、
慌てて頭を横に振ってそんな考えを追い払う。
”あぁ〜っ、俺は主に何を期待しているんだッ!!”
落ち着け、自分と何度か深呼吸してみる。
すると、秀長が不思議そうな目を向けていることに
気がついて、慌てて視線を合わせる。
「あのですね、秀長様っ!」
己の邪な考えを恥じるせいか思わず大声になってしまう。
「ん?」
「言っておきますが、
そういう事を他の人に言わないでください。
それと、‥俺だって男なんです。
あまりそういう、勘違いするようなこと言わないで下さい」
――次は、きっと主とはいえ、自分の想いを抑えられないから
だが、言われた秀長は意味が分かっていないのか
ぼんやりと高虎の顔を見つめるだけ。
その無防備さに、不覚にもまたグラッと来てしまい、
小声で呟くようにそんな想いを吐露する。
「今度言ったら、‥冗談じゃなく押し倒しますから」
だが、やはり主に向けていう言葉じゃなかったと我に返って、
高虎は恥ずかしさに真っ赤な顔になると、
それを隠すように雨の庭へと出て、走っていった。
残された秀長はきょとんとしたまま、その背を見送る。
「何か‥余計な事を言ったかな?」
秀長は雨の中、急いで出て行ってしまった己の部下に首を傾げる。
高虎が怪我をするのは、主である自分のためだからだと思うと
少しでも楽にしてあげたいという想いがあって
言葉にしたことだったのだが。
「‥余計なお世話だったかな?
高虎には、迷惑な申し出だったかもね」
高虎の言葉を思い返しながら、
何がいけなかったのか少し考え直してみる。
「‥勘違いをする?」
なにを?
そこまで考えて、不意にカッと秀長も赤くなる。
あぁ‥なるほど、‥そういう‥。
「そうだね、‥これは確かに若い高虎には酷な言葉かも」
くすっと笑う。
――痛いところ全部、舐めてあげる
なんて、‥本気にするようなことを口にして、
何も気がつかず、笑っているなんて。
「‥私はとんだ酷い主だね」
本当は「押し倒したかった」子を、生殺しにするなんて。
その上、我慢させて、気まで遣わせてしまうなんて。
「なんて、私は悪い主なんだろう」
駆けて行った後姿を思い出しては、秀長は己の失言を反省した。
「さて、‥今日はこの後どんな顔して接したらいいかな?」
どんなに距離をとっても、結局はまた今日中に会う事になる。
きっと、素直な高虎のことだから
多少ぎこちなくとも忘れたフリをしてくれるだろう。
そう思うと、申し訳ないと思うのに自然と笑みが零れてしまう。
いっそ、”酷い”ついでに知らない振りして
わざと誘うようなことを口にしてみようか。
そう思ってから、
「あぁ‥でも、あんな可愛い子をこれ以上苛められないよ」
秀長は再度思い返して、笑う。
そんなことをした日には、
きっと高虎があまりのことに混乱して、
心労がたたって倒れてしまう気がする。
”それよりも‥”
「お茶に誘ってあげよう。
そのほうがきっと、喜んでくれるから」
”‥もちろん、”
その時に高虎が自分に対してどんな行動に出ても
その時は受け入れてあげよう‥と、そう想うのも忘れなかった。
終
*久しぶりに戻ってまいりました!
イベント後、久しぶりなのでなんだか
まだちゃんと文章が戻らなくてすみません。
戻ってきて、いきなり黒田じゃなく大和大納言主従なのが
私らしさといいますか、‥なんかなぁ(笑)
無意識に誘い受けっぽい秀長様と、
誘われていると思ってドキドキするのに、必死で我慢する高虎です。
なんでしょう、高虎は若さに負けて
襲うというのが出来ない子だと思います。
要するに、へタレなのですが‥(苦笑)
いえいえ、そんなヘタレ加減が
「=秀長様への愛情」だと信じています(え)
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