桜華茶房

『貴方の匂い』


「ちょっと、出かけてきます」

高虎は、部屋の中を覗いて、 書物を読んでいる己の主に声をかけた。
だが、珍しく仕事に忙殺されていない秀長は
目の前の書物に夢中らしく、すぐには気がつかない。
そんな様子にもう一度声をかけるべきか迷う。
己の声が小さかったのだろうか?
だが、邪魔をしては悪いだろう‥。
そんな風に悩んでいるとしばしの間をおいてから、

「何か私に言った?」

そう返事が返り、秀長がきょとんとした顔で振り返った。
それに思わず苦笑して

「出かけてきます」

と再度、口にする。

「すぐ、帰ってきますので」

そう付け加え、踵を返そうとすると 秀長が慌てて立ち上がった。

「待って、高虎」
「なんですか?」

声をかけられ、立ち尽くしていると
秀長が近寄ってきて、着物の襟に触れた。

「乱れてますよ」
「え?」
「出かけるんでしょ?
直してあげますから、少しかがんで‥」

それに対して断る理由もなく、
頷き従えば秀長の手が着物を直し始めた。
直されている間、高虎は何もすることがなく
近くなった秀長の顔をボーっと見つめた。

“睫毛、長いな‥”

不謹慎にもそんなことを思っていると
フワッと甘い匂いがし、反射的にドキッとした。
己が、しょうもないことを考えていたこともあって、
そのことに心中慌てる。

”秀長様相手に、何を考えているんだっ”

頭の中から余計な事を振り払いたくて、
秀長に声をかける。

「秀長様」
「なぁに?」
「何か、つけていらっしゃいますか?」
「ううん、何にも。‥何か変な匂いでもする?」

だったら、ごめんね‥と困った顔で謝られて

「い、いえ、そうではっ」

と慌てて、首を横に振る。

”じゃあ、この匂いは?
甘くて、いい匂いがするのは何故?”

秀長が近くなれば、なるほどそれは強くなるようだ。
それでも、嫌な匂いでは決してない。
それどころか、ぼーっと嗅いでいたら
そのままこの香に酔ってしまいそうだ。

”やばい、このままだと‥“

「これで、平気かな?」

秀長の問いに高虎はハッと我に返る。

「え?」

しばし、相手の問いの意味が分からず固まったが
すぐに状況を把握し、慌てて何度か頷いてみせた。

「良かった」

フワッとまたいい匂い。
そのたびに、身体のどこかがざわざわする。

“相手は主じゃないか!何を考えているんだっ”

そう言い聞かせるが、
まるで匂いにやられてしまったかのように
身体が麻痺しているようだ。
その上、思考のどこかが既にけしからないことを考えている。
今、手を伸ばさなくても抱き寄せられるところに秀長がいる。
それどころか、難なく押し倒せそうだ‥。
小首をかしげる相手はどう見ても、
そんな無体すら受け入れてくれそうで
そんなことを考えてしまう自分に高虎は呆れた。

”あぁ、なんて自分は修行が足りないんだろうか”

この程度で、グラグラと揺れてしまうなど
部下としてどうなんだろうかと悩むが、
それとは反対にこのまま何もしないで出て行けない自分もいる。
高虎はそんな自分に、苦笑して

「秀長様」
「はい?」

どうしたの?と笑顔の秀長を抱きしめた。

「‥早く帰ってきますから、俺のこと待っていてください」

それだけ口にして、
これ以上をしてしまいそうな自分をなんとか抑える。
だが、その声の熱っぽさに気がついたのか、
秀長の頬が不意に赤く染まる。
それに高虎は慌てて、身体を離し、

「お土産も忘れず買ってきますからっ」

と足早に部屋を後にした。

離れた瞬間、引き止めるかのように
また主から甘い匂いがした。





*采配で書くか、創作で書くかで悩んでいたら
 某方様のネタと被ってしまって
 もうお蔵入りするか‥と一瞬思ったのですが、
 あまりに書くまで難産だったので晒しました。
 某方様のあの話と似ている!?と思われましても、
 ひっそりと胸の内に隠してください。
 こっそりと‥な苦情は受け付けます(何)
 高虎は、いつも秀長様にからかわれ半分で誘われているので
 秀長様の一挙一動に過剰反応できるようになっていればいいです。
 


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