「またべ……」
そこまで出かかって、俺は口を閉じた。
そんな筈ないのだ。
もうとっくに又兵衛という男はいないのだから。
この世に彼はもういない。
***
「ご報告致します」
「なんだ?」
「そ、その…」
「ハッキリと言え!なんだ?」
「ご、後藤又兵衛殿……大阪の陣にて討ち死に致しました」
そう聞いた時、愕然とした。
「又兵衛が…討ち死に?…まさか」
「事実に御座います。
馬上にて勇猛果敢に戦っていらっしゃった所を
飛んできた矢に胸を射られ、お亡くなりに…」
感極まった部下の言葉などもうほとんど耳には入らない。
ただ、夢見心地だった。
又兵衛が死ぬはずないと何処かで思っていた。
大阪の陣で大阪方がやられ、痛い目を見れば戻ってくる。
そんな変な期待が微かに自分自身の中にあった。
又兵衛は強いから、死ぬはずない…。
そんな期待もしていた。
またその顔に微妙な表情を乗せて、
「吉兵衛様、俺を使う気はないか?」
そんな偉そうな態度で目の前に現れるんじゃないか。
そう、思っていた。
だが、半信半疑な出来事は現実だと分かる。
「こちらが、御当家の元、部下であられた後藤殿の遺体です」
運ばれた担架に乗っている血染めの白い布が掛けられた、それ。
異臭すらするそれはあっという間に地面を血で染め上げる。
部下が遠巻きで見ているのを下がらせ、震える手で布を取った。
瞬間、耐え難い吐き気に襲われた。
「又兵衛ッ………」
紛れもなく、それは又兵衛その人。
無惨にも切り裂かれた痕が生々しい。
その頭に巻かれていた布さえ染め上げる紅。
そんな血の海の中、大好きだった大きな手が浮かんでいる。
もう……二度と暖かみを持たない手、握りしめてくれない手。
不気味なほどその手がやけに白い。
顔はまともに見られない。
いや、見られるような顔じゃない事は確かだった。
あの、意地悪だけど誰よりも優しい笑みを浮かべた顔。
それは見る影もなくなっているのだろう。
「どうして………死んだのだ?」
口からこぼれ落ちたのはそんな言葉。
兄と慕い、師匠と敬い、部下として頼りにし、密かに恋慕した。
そんな大切な人がこの世の中にいない。
大きく、自分の中の何かが欠如した気がして虚しさが込み上げた。
「どうして、先に逝ってしまったのだッ、又兵衛!!」
死んで欲しくはなかった。
喧嘩別れし、ずっとお互い固執し続けても生きていて欲しかった。
それとも……又兵衛はそんな執着心に嫌気でも差したのだろうか?
俺のこの暗く、重い気持ちを背負うのに疲れてしまったのだろうか?
「そこまで、俺が嫌いか……又兵衛ぇ…」
嫌い、嫌い、嫌いだと言い続け、
言い尽くして初めて感じたのは、好きという事だった。
だから、執着し続けた。
戻って欲しいと願った。
暗殺者を雇ってまで殺そうとした訳は、
又兵衛ならそんな奴らに殺されないと気が付いていたからだ。
そんな風に足止めすれば、それに呆れて戻ってくるかとも思ったからだ。
だが、全部、全部又兵衛には煩わしかったのかもしれない。
そう思った時、又兵衛が
俺の手をすり抜け死んだ事を喜んでいる気がして哀しくなった。
「又兵衛、置いていかないで。…置いて行っちゃ嫌だぁ」
”仕方のない方ですね、貴方は。ほら……。
手を握っていれば、はぐれることはありませんよ。
違いますか?松寿様”
それでも又兵衛は俺の手を振り切ったんだ。
繋いでいてくれないで、俺だけ一人にした。
俺は独りぼっち。
はぐれてしまったんだ、お前から。
お前は俺を探しには来てくれないのだろ?
そんな溝が開くくらい、俺はお前に酷い事をしたのだから。
それでも想う。
又兵衛が何時か来てくれると。
俺の気持ちに気が付いてくれると。
「又兵衛」
***
桜の季節がやってきた。
もう、又兵衛が死んで何年経つのだろうか?
大きな桜の木の下、それを見上げ思いをはせた。
途端、ザァァッと強い風が吹き、桜の花びらが舞い散る。
その中に遠く一人の男を見た気がした。
背が高く、がたいのいい男。
その男が少し俺に振り返る。
横顔が見え、唇が微笑んだ気がした。
「見間違えか…」
そうだ、又兵衛のはずがない。
俺は小さく笑うとその場を後にした。
”吉兵衛”
呼ぶ声が何故か耳に響いた。
終
*前のHPから持ってきたものです。
今回は風野氏の小説のラストから思い付いたものです。
死にネタは暗くなるので申し訳ないです(汗)
ただし、うちの長政は又兵衛が生きていれば良いなぁ‥な奴なので、
あんなに格好いい引きは出来ませんでした(苦笑)
第一に大阪の陣の遺体が運ばれる事はないですしね。
もう部下でもないし。
ま、まぁ‥こんなのも一つの小説の形って事で許してやってください。
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