『震え』



まだ呼吸が荒い。
心臓も高鳴っていて、痛いくらいだ。

”死ぬかもしれなかった”

戦に慣れたとはいえ、まだこの恐怖は拭い切れない。
自分は意外に繊細なのか?
大将なのに先走るのは、
この恐怖に押しつぶされないようにしているせいもあると言ったら
父親は眉を寄せるだろう。

「‥っ」

うまく呼吸が出来ない。
呼吸の仕方を忘れて、うまく身体中に空気が回らないような圧迫感。

「こんなもの‥っ」

大したことはないと言い聞かせて、壁に額を押し当てる。

”静まれっ”

何度も唱える。
まだ最初に人を殺したときよりは和らいだ方だ。

「大丈夫‥なんでもないではないか、これくらい」

これくらいで冷静さを欠けるようでは父には勝てない。
決めたのだ。
自分は武で戦功をあげると。
こんな風にみっともない姿は誰にも晒したくない。

「大丈夫か?」

そう思っていたのに、声をかけられ長政は眉を寄せた。
振り返らなくても分かる。

「‥放っておけっ」

振り返らず、伸ばされてきた手を払う。

「気分でも悪いのか?」

本当に心配そうに尋ねているのか、
それともからかいが含まれているのか。
分からないから、この男は嫌いだ。
いつだかは心配そうに尋ねられたと思い、後で散々馬鹿にされた。
同じ失敗は繰り返さないし、
この男だけにはこんな惨めな格好を見られたくない。

「五月蝿いっ!!
心配する気もないくせに、そんな風に言うなっ」
「皆が探していたから探しに来ただけだ。怒鳴らなくてもいいだろ」

怒鳴るのはお前だからだと言ってやりたかった。
だが、気分もなんだか悪くなってきた今、怒鳴るのは極力控えたい。

「‥すぐ行くから、先に戻れ」

そう告げたのに男は相変わらず、背後に立っている。

「又兵衛っ、いい加減にしろっ!!
そんなに俺が惨めな姿を見て笑いたいのか!!」

カッときて、長政は振り返ると怒鳴った。
視線を感じるだけで身体中が熱を持つ。
恥ずかしいからだ。
こんなところ、この男には見られたくない。
この男には、自分が本当は戦場を怖いのだと思われたくない。


一番近づきたいと思っている男に、見下されるのは辛すぎるから‥


しかし、長政は又兵衛と目を合わせて、言葉を失った。

「‥悪かった」

又兵衛の顔にからかいの色はなかった。
むしろ、少しだけ辛そうな顔をされ、長政は戸惑う。

「な、なんだ、いきなり。お前が謝ると気持ちが悪い」

いつものように減らず口を叩くが又兵衛は言い返さない。
どころか、抱きしめられて長政は慌てる。

「は、離せっ!!お前、何をっ」

もがいて怒鳴るが又兵衛は

「なにも話すな。‥落ち着け」

と言うだけ。
この状況が落ち着けるだろうか?
人が見たらどうするんだと思うが、又兵衛の低い声が

「惨めなんかじゃない。‥誰だって、そうだ」

と囁き、長政はもがくのをやめた。

「俺とて、怖い」

又兵衛から意外な言葉が告げられ、長政は驚愕する。

「お、お前が‥怖い?」
「あぁ‥、怖い。槍を持つ手が震えるくらい、怖い」

誰だって死ぬのは怖いと優しく呟く声に長政は目を伏せる。

「そうか‥、お前も怖いのか。なら、何故戦場に立てる?」

長政の問いに又兵衛は少しだけ笑う。

「決めた。‥最初人を殺した時に、俺はここから引かないと」
「‥?」
「意味が分からないか?
武士として、戦場に死を求めようと決意したのさ」

それだけだと言う又兵衛に長政は

「それだけで怖くないのか?死ぬと分かって戦場に行くのが?」
「怖くないといったら嘘になる。だが」

突然言葉を切られ、長政は

「なんだ?」

と又兵衛を見上げる。

「‥いや。なんでもない。それよりも、もっと大きい問題があった」
「?」
「先陣を切る何処かの主を止めるためにも行くしかない」

クッと笑った又兵衛に長政は赤くなる。

「お、お前っ!?それは俺のことだろっ」
「さぁな?‥誰とは言わない」
「黙れっ!!俺しかいないではないかっ!!
見直して損をしたっ!!離せっ」
「離していいのか?」
「は?」

意味が分からない。
長政は少しでも又兵衛の優しさに縋ろうとした自分を悔やみ、
結局馬鹿にされたと腹立たしく思った。

「当たり前だっ!離せ、馬鹿又兵衛っ」

振り払うように又兵衛の腕から逃げると長政は怒鳴る。

「今‥、俺が弱っていたことは誰にも言うなっ!!
お前も記憶から永久に消去しろっ!言ったら、ただじゃ済まないぞ」

本気ではないが、この恥ずかしさには言わずにはいられない。
よりにもよって、不覚にも泣きそうだったなんて。
しかも、それを慰めたのがこの男なんて。

「戦などすぐ慣れる。
こんな姿、二度とお前の前では見せないからなっ」

長政は怒鳴るとわざとらしく
足音をたてながら、去っていった。


残された又兵衛は長政の姿が見えなくなると笑った。

「ただじゃ済まない‥なんて、本気でもないくせによく言う」

長政の捨て台詞を思い出し、
声を立てて笑うと己の右手を見つめた。
カタカタと小刻みに震える手。

「お前が戦で恐怖を感じる必要はない。
‥俺がいるのだから」

自分が戦場に立ち続け、恐怖と戦うのはあの主がいるから。

「まったく‥無事を確かめた途端
震えるこの手だけはなんとかしないと、
例え細かいことは気が付かない男とはいえばれてしまうな」

だから、本当は抱きしめるつもりなんてなかったのにと思う。

「ただ、吉兵衛の震えが
俺にうつれば良い‥と思っただけなんだが」

結局、震えは止まったものの怒らせたのだからいつも通りだ。

「‥俺は、なにをやってるんだ」


もうあれは心配するほど、子供じゃないというのに。


又兵衛は苦笑いをすると長政の後を追うように歩き出した。



*小説を読んでいたら、
珍しく初陣で長政が慌てていたのでそこから考えたものです。
なんだかんだで長政は最初のころは、
戦に出るのが怖くてそれを隠していたらいいなって話。
で、知っているのは又兵衛だけと。
そして、又兵衛が長政同様先陣に立つのは
長政を守るためならいいという妄想です(笑)


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