「じゃあね、ぼく、又兵衛のおよめさんになるっ」
――――――それは子供の戯言
そんな風に言ったなんて、忘れていた。
思い出したのは太兵衛の言葉がきっかけだった。
***
「又兵衛ってさ、松寿様と長政様ならきっと前者をとるよなぁ」
いきなり言われた言葉に茶を飲んでいた長政は思わずムッとなった。
「なんで、そう言える?」
「だって、又兵衛の可愛がり方、甘やかし方は尋常じゃなかったもん」
「なっ‥!?」
「松寿様に対して‥、なんて言うんだろう?
優しいというか、当たりが柔らかいというか。
目に入れても痛くないって言ってもいいくらいだったし」
「っ」
言い返そうと思ったが長政は巧く言えなくて口をつぐんだ。
実は子どもの時の記憶はほとんどない。
人質生活はまだしも、又兵衛と過ごしたそれより前の事が思い出せない。
一体、どんな事を話して、どんな事をしたのだろうか?
又兵衛が優しくなってしまうほどの魅力があったのだろうか?
「た、太兵衛はその時の事、覚えているのか?」
「え?まぁね。そりゃもう、可愛い子どもだったよ、長政様は」
「それは、ありがたいな‥」
皮肉混じりに言って、長政は先を促す。
「そうだなぁ、‥毎日だったかな。
又兵衛が来ると嬉しそうに駆け寄ってさ、抱きつくんだよ。
それを又兵衛がまたすげぇ優しそうな顔で見つめるんだな、これが。
で、今じゃ考えられないけど
”如何しましたか、松寿様?”とか
丁寧に聞くんだぜ?
松寿様はそれに遊んでだとか、一緒にいてだとか言う。
無理難題も多かったけど、又兵衛は嫌だって言った事なかったと思う。
いつだって、松寿様の為ならって付き合っちゃうんだな‥、これが。
思えば、又兵衛が松寿様を好きだったのかなぁ」
「ま、又兵衛が、‥俺を?」
「といっても、昔のことね」
「む、それは、そうか」
そう呟いて、長政は黙りこんでしまった。
又兵衛が自分を想っていてくれた事がある。
なのに、自分はそれを覚えていないし、今は違う。
一番の望んでいる事なのに、一つも思い出せないのだ。
「そういや、覚えている?」
「何をだ?」
「長政様が如水様に又兵衛のお嫁にしてって、言った時の事」
「‥‥は?」
太兵衛の言葉に長政は目を丸くする。
お嫁?
「あれ?覚えてない?」
「あぁ」
自分の事ながらそんなことを言ったなんて記憶にない。
思わず頬が熱くなる。
「松寿様ったら可愛いんだぜ!
いきなり部屋に入ってきたと思ったら、
父上様、僕、お嫁になる!だってさ。
あの時の如水様の慌て方は尋常じゃなかったよ」
想像不可能。
長政は己の事ながら、居たたまれなくなった。
「忘れろ、そんなこと」
「えぇ〜?なんで?」
「昔の事だろう」
長政は熱くなる頬を押さえ、素っ気なく言う。
太兵衛はつまらなそうな顔をしたが、アッと声を上げた。
「そういや、あん時の又兵衛の顔も最高だったよなぁ」
又兵衛と聞き、思わず長政は太兵衛を見てしまう。
ニヤッと太兵衛が意地悪く長政を見てくる。
「な、なんだ‥」
「長政様こそ、何?忘れて欲しいんじゃなかったの?」
太兵衛のくせにッと、内心毒づきつつも聞きたいので言い返せない。
すると太兵衛は長政の意を解したのか、話を続ける。
「たしか‥、そう松寿様が如水様に説得されても首を縦に振らず、
困った如水様が又兵衛を呼んできたんだよね。
で、説得して欲しいって言ってさ」
太兵衛は懐かしそうに話し、笑う。
「でも、松寿様は事の重大さが分からないだろ?
だから、又兵衛が来てくれたことに大喜び。
お嫁さんにしてね、なんて言われて又兵衛、相当面食らったみたい。
一瞬呆然として、真っ赤になって首をこうブンブン振るわけ。
ははっ、想像出来ないだろ?」
長政は太兵衛の話に昔の又兵衛を想像した。
若い頃の又兵衛。
赤くなって、松寿の言葉におたおたする姿は滑稽だ。
それでも何故か口元がにやけそうになって、長政は手で隠した。
「俺と松寿様は結婚できないんだって、
何回も説得するけど
松寿様は子供だから理解できない。
とうとう、困ってしまって指切りしたんだって」
「指切り?」
太兵衛の言葉に長様は彼の顔を見る。
太兵衛はそれに頷き、呟くように言う。
「大きくなったら、お嫁さんにしてあげるって」
カァァァッと長政の顔が一気に熱を持つ
「あはは、笑っちゃうだろ?今の又兵衛じゃ考えられないよね。
よっぽど、松寿様に泣かれそうな顔されたのかな?
好きだったんだね、松寿様が。
大切だったから、泣かせたくもないし、
絶望させたくなかったんだよ。だから‥」
結婚するって誓ったのかなと、太兵衛は呟くと長政を横目で見た。
限界に近い程に赤くなった長政の顔。
相当内心困惑している。
それもその筈。
自分はすっかり忘れているが、そんなことを又兵衛と約束したのだ。
もし、あちらが覚えていたとしたら‥。
しても、どうってことはないだろうと長政は内心思った。
どうせ、覚えていても昔の約束。
子供の話を本気になんて誰もしない。
でも、‥でも、もし‥。
もし、長政が忘れず又兵衛が本気だったなら‥。
「本当に結婚してくれる気なのか」
長政は俯き、小さく呟く。
「え?」
と太兵衛が聞き返す。
「な、なんでもないっ」
長政はそう言うと勢いよくに立ち上がって、
赤くなった顔を隠すように外へ出た。
「そんなことは今日限り、忘れる事だぞ、太兵衛!」
くぎを差すのは忘れない。
ドタドタとわざと足音をならしながら歩く長政に残された太兵衛が苦笑する。
「そんなこと言っても、長政様が覚えているじゃん」
素直じゃないんだからさ、と一言、
太兵衛は真っ赤な顔で内心オロオロしている長政を思った。
終
*今回のは書きかけにしていたお話と、
お嫁さんにして話を一緒にしちゃったお話(笑)
別々のものだったのですが、断片的にしか出来ていなかったので
じゃあ、いっそ一緒にしちゃったらどうよ?的な感じでこうなりました。
又兵衛が全然出てこないというだけでなく、
何故か太兵衛と長政が喋っている話というなんかおかしなものになりました。
仲が悪くなってきた長政と又兵衛を繋いでいるのが
太兵衛なら良いなって
つもりで書いたんです。
過去も知ってそうだし、長政にとって喋りやすい人かなって。
最初に出た頃とは大分役割が変わりつつありますね、太兵衛は。
それもこれも妹が好いてくれたお陰に他なりませんが‥。
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