『戻ってきて欲しいと呟く』


これで徳川方の勝ちだ。
長政は埋められていく掘りを見つめ思った。
大阪の戦い。
なんて呆気ない幕切れだろうか。
長政は天守閣を仰ぎ見て、小さく笑った。

「豊臣ももう、終わりだな」

それには、一抹の寂しさが混じっていた。

***

「後藤殿、黒田殿がお見えです」

大阪城の一角にある部屋。
そこに報告にきた部下に又兵衛は

「通してくれ」

と書き物をしながら伝える。
しばらくするとその部下に従って、よく見知った顔が入ってくる。

「久しぶりだな、又兵衛」
「‥久しぶりだ、吉兵衛」

又兵衛は長政を見て、複雑な顔で笑った。

「何をしに来た?まさか、ここで首でも切るか?」
「そんなことをしに来たわけではない」

長政は首を横に振ると又兵衛の前に座った。
部下がお辞儀をして出ていく。

「俺はお前に帰参を促しに来た」

長政の言葉に又兵衛は息を呑み、そして笑った。

「何を馬鹿な事を。俺は出奔したのだぞ?何故、お前の元になぞに」

帰るわけがないだろと又兵衛は言う。

「いつまでそんな事を言っているッ!!」

バンッと長政は畳を叩く。
又兵衛の顔から笑みが消える。

「俺は本気で言っている!
俺もお前に大人げない事をした。 悪いと思っている。
反省している。
大阪城はこれ以上徳川と事を構えられない。
それだけの力がなくなったからだ。
時勢を読むのが上手いお前なら分かる筈だ。
豊臣は滅びるッ!!」
「それが、‥どうした」

又兵衛がボソッと呟く。

「なっ!?なんだと?」
「俺はここを死に場所と定めた。
ここまできて今更、お前の元へ帰れと?
そして、裏切り者の汚名を着て死ぬまで苦しめと?
徳川の世になって死に場所なんてあるわけない。
俺は、ここで死ぬと決めたから、お前の元には帰らない」
「又兵衛ッ!」

長政の声が悲痛な叫びとなる。

「俺とて、お前には酷いこともした。
だが、謝らない。
謝る必要なんてないからだ。
俺達はもう違う所にいる。
交わることなんて、もうない」

ハッキリと告げる又兵衛の瞳は揺らがない。
長政は愕然として、首を横に振った。

「何故だ?‥なぜ?
俺は、お前に死んで欲しくないと思ってッ!!」
「迷惑なだけだ、吉兵衛」

ハッと長政が又兵衛を見る。

「俺はお前に助けてくれとは一度も言っていない」
「‥又兵衛」

長政の頬を涙が一筋伝った。

「お、お前の欲しいものをなんでもやるッ!!
領地でも、地位でも、名声でも、それこそ死に場所だって!!
それとも、俺を貶めれば気が済むか?
なら、それでも構わないッ」

長政は立ち上がって、必死に叫ぶ。

「帰ろう‥、帰って来い、又兵衛。
俺にはお前が必要だ」

長政は手を伸ばし、又兵衛に差し出した。
だが、彼は受け取らない。
受け取るどころか、冷めるような視線を長政に送り

「お前がそんなにも他力本願だとは思わなかった」

と蔑むように呟いた。

「ッ!?」
「俺はお前のものじゃない。昔から俺は如水様のものだ。
如水様にしか、俺は仕えていない」

追い打ちをかけるような又兵衛の言葉。
長政はフラフラと崩れ落ちる。

「どうして、‥どうしてお前はそうなんだ?
なんで、俺じゃないんだ?何時だって、お前は、‥俺を」

キュッと着物の裾を掴んで、長政は涙を我慢する。

「お前が俺に相応しいと思える主君じゃないからだ」

又兵衛の言葉は躊躇がない。
長政へと真っ直ぐに入っていく。

「なら、なんで優しくしたんだッ!!」

長政が大声で叫ぶ。

「なんで俺が子供だった頃、あんなに優しくしたんだッ!!
俺は、‥俺はお前が好きだッ!
好きで好きで、どうしようもないくらい好きだッ!!今も昔も。
俺は、お前が欲しい」

あふれ出した涙は止まることなく、長政の頬を伝っていく。

「俺はお前が嫌いだった。
嫌いで、嫌いで、たまらないくらい嫌いだ。
何故、お前が如水様の息子なのかと羨みもし、恨んだりもした」
「優しくしたのも、父上のため?」
「‥そうだ」

その答えに長政は黙った。

「帰れ、吉兵衛」

そう言うと立ち上がり、外へ出ていこうとした又兵衛の袴を突然長政が握り締めた。

「‥離せ」
「‥‥」
「離せ」
「‥‥」
「離せッ、吉兵衛ッ!!」

又兵衛は振り払うようにして先へ進もうとするが長政の腕が絡まり、進めない。

「退けッ!!聞こえないのかッ」
「退かないッ」
「は?」
「退いてなるかッ」

長政は叫ぶ。

「俺もここでお前と討ち死にすると言っても、
お前は俺が嫌いだと言い続けるのかッ」

長政の叫びに又兵衛が動きを止める。

「俺は、又兵衛が好きだ。ここで、失いたくない」
「‥‥」
「お前が俺の元を去ってからずっと、寂しかった。
何度お前を許せばよかったかと、自分を罵った。
例え、他力本願だと蔑まれても俺にはお前が必要だ」
「よせ、吉兵衛」
「死なないでくれ、又兵衛。死んでは嫌だ。
俺をおいて、何処かへ行かないでくれ」
「今更、そんなことを言ってなんになる?」

又兵衛は半ば嘲笑気味に言い、見下した。

「お前は俺に刺客を差し向け、何度も殺そうとした。
それだけじゃない。
俺を奉公構いにし、何処へも奉公できなくしたうえで、 飢え死にさせようとした」
「そ、それは‥」
「そこまでされて、何故俺がお前になど仕える?
恨みこそすれ、慕っている気持ちなど微塵もない。
お前に好かれる覚えもない」

又兵衛は吐き捨てるように言い、鼻で笑う。

「それともなんだ?
俺を貶め続ける事がお前の望みか?
戻ってきたらきたで、また突き放すのだろ?‥いい加減にしろッ!!」

又兵衛の怒号に長政がビクッと身体を震わせる。

「好きだとか、欲しいとか、死ぬなとか、もう沢山だッ!!
俺はずっとお前の我が儘に付き合わされてきた。
何度も何度もお前の為に己が身を晒し続けてきた。
それでも、なお俺は死ねなかった。
それはお前が俺を言葉で縛りつけるからだ。
もう、たくさんだ!!
‥俺だって、もういい歳だ。 これ以上、縛られ続けるのはうんざりだ」

又兵衛は最後に悲しげに自嘲し、俯いた。
長政は真っ青になって、愕然としている。
又兵衛を掴んでいる手が震えている。

「早く帰れ、吉兵衛。
こんな所に何時までもいれば、 お前まで徳川公に怪しまれることになる。
如水様の苦労を泡に帰すつもりか?
俺はもう、大阪方の人間だ。お前とは敵なんだ、‥そうだろ?」

長政は何かを言おうと口を開くが声にはならない。
ただ大きな瞳が何度も揺らいで、不安の色を滲ませる。

「縋るな、‥頼むから。
お前に縋られると振り解きにくくなる。
本当なら、あの出奔した前の日、
お前に罵られた屈辱的な関係のままでいられればよかった」

又兵衛の声が掠れた。
視線はもう、長政から逸らされている。
嫌だと長政の口が動く。
声は出ない。
伝わらない、届かない。

「ではな、‥黒田甲斐守殿」

又兵衛は余所余所しい呼び名で長政を呼び、振り解くようにして外へと出ていった。
残された長政は力無く俯いた。
込み上がってくるのは痛いぐらいの喪失感と、悲壮感と、‥涙。
きっと、片腕をもがれる方がまだ痛くない。
長政は嗚咽を漏らして、泣いた。
又兵衛がいなくなった、あの日と同じように。
死なないで、死なないで、死なないでっ!!
心の中で何度も反芻し、唱え続ける。

欲しかったものは、手に届かない、‥声も届かない所へ行ってしまったと、
その時長政は気が付くのだった。




*今回は大阪城に入った又兵衛を長政が説得するというお話。
 史実完璧無視です(オイ)
 けど、石川さんの小説で部下をやって帰ってこいと言うシーンが
 あまりにもよかったのでこんな形にしました。
 第三者視点にするか、長政でいくか悩んだので中途半端に(汗)
 なんだかんだで又兵衛はいなくなって初めて、  長政の中でより大きな存在になると思います。
 元から大切で好きな人だけど、本音が言えない分素直になれない。
 けど、失うと後悔の方が大きいから本音がさらりと言える。
 長政と違い、又兵衛は振り切れていれば良いと思います。
 もちろん何処か振り切れていないんだけど、
 自分で行った行いは最後までやり遂げる人だと思うので
 長政に対しても甘えや妥協を許さないと思うんですよね。
 でも、ここまで報われないと可哀想なので次回あたりはラブラブにしたいです。

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