子供の頃、それは何よりも好きな言葉だった。
「ねぇ、又兵衛」
「はい?」
「僕のこと、好き?」
「えぇ、‥大好きですよ」
彼のその言葉さえあれば幸せだったし、それ以外何も望まなかった。
いつまでも、彼の一番は自分でその地位が永遠であればいいと望んだ。
愛しているじゃ、大きすぎる。
好きじゃ、小さすぎる。
だから、”大好き”。
――貴方のその言葉が、一番好きだった。
「又兵衛」
そんなことをフッと思い出し、長政は傍に座っている又兵衛に声をかける。
「なんだ?」
長政の方を見ずに返事を返す相手に、
”いつから聞かなくなったのだろう”と長政は思ったりもする。
「お前は俺をどう思う?」
率直に尋ねれば、又兵衛が意外そうな顔を長政に向けた。
「どう‥思うとは?」
「言ったままだ」
理解できないという顔をする又兵衛に
「別にお前がダメとか、ここをこうしろという小言が聞きたい訳じゃない」
と付け足す長政。
「なら、どういう風に言えばいい?」
「率直に聞けば、好きか嫌いか言えばいい」
ここまで手間取らせられると長政も苛立ってくる。
こんなことも察せられないのか鈍感という怒鳴り声は、我慢する。
「好きか嫌いか?」
「繰り返して聞くな。‥モウロクしたのか、又兵衛?」
皮肉っぽく言えば
「お前が珍しいことを聞いたから、耳を疑ったまでだ」
と返される。
「からかいたいのか?」
少し苛立って尋ねると
「いいや」
と返し、又兵衛は少し考える。
長政とて、本当は子供の頃のように好き?と尋ねたいのは山々だ。
だが、そんなこと恥ずかしくて聞けないし、
そういう風に言えない色々な制限がありすぎる。
喉元まで「お前は俺を好きか?」という言葉を
出しそうになるのを堪える長政に
又兵衛はフッと笑った。
「何故、そんなことを聞く?」
「は?」
返されたのは、答えじゃなくて問い。
「俺はお前に聞いているんだぞ?」
「だから、何故かと聞いている。理由が欲しい」
「別に意味などない。聞きたくなったから聞いた」
こいつは人を焦らしたいのだろうか?と笑っている顔を睨む。
「そうか‥珍しいな」
「どういう意味だ?」
「いや‥なに、少し‥な」
思うところでもあったように又兵衛は
一瞬優しそうな顔で笑い、視線を逸らした。
そして間髪いれずに
「嫌いだ」
と小さく発した。
その言葉に長政は驚愕し、後悔し、押し黙った。
なにを自分は期待していたのだろうか?
子供の頃のように、お前が好きだと囁いて欲しかったのだろうか?
そんなこと、ありえないと分かっていながら‥。
そう思った。
気を抜くと泣きそうになる。
こんなにも自分が弱いことに心の中で驚愕する。
そういえば、又兵衛に嫌いだとはっきり言われたのは初めてだとも思った。
長政がどんなに嫌いだといっても、
又兵衛がお前を嫌いだということはなかった。
”嫌いという言葉が、こんなにも辛いなんて‥”
無意識にギュッと拳を握っていた。
その手に又兵衛の手が重なる。
「な、なんだっ!?」
人が落ち込んでいるのに、
いきなりなんだと文句を言おうとして長政は続きが言えなくなった。
又兵衛が優しい顔をしていたから。
それは、子供の頃泣いていた長政を慰めてくれた時と同じ表情。
長政よりも大きな手から熱が伝わって、不覚にも泣きそうになる。
”嫌いだといったくせにっ!!”
そんな風に罵りたいのに声に出来ない。
涙声になりそうで‥。
「長政」
又兵衛が囁くように呼ぶ。
長政は少し涙目の顔で睨むように見る。
「嘘だ。‥泣くな」
兄が弟を慰めるみたいな、そんな心地いい声。
それなのに、その言葉はあまりにも意地悪すぎる。
「う、嘘を言うなっ!!俺は真剣に尋ねたのだぞっ!!
馬鹿にしているのかっ」
引きつる声で文句を言う。
又兵衛はただ笑っているだけ。
「べ、別にお前に嫌われたくらいで俺はなんとも思わないが‥。
い、いきなりハッキリと言う奴があるか!!
少しだけ、‥傷ついたっ!!」
文句という偽りと本音が混じってしまう。
それでも、不安だったせいか言わずにはいられない。
「悪い。‥嫌いだといったら、
お前がどういう反応をするのか突然気になってな」
悪戯心が働いた、許せと又兵衛は楽しそうに笑う。
「松寿の時は、こんなこと言ったら泣き出してしまいそうだったからな。
だが、‥どちらにしろ
あまり成長していなかったから結果は一緒だったがな」
そう言われ、カァァァッと一気に長政の顔が赤くなる。
「俺をからかうとはいい度胸だな、又兵衛っ!!
お前は俺を主君と思っていないのかッ」
止め処なく溢れ出す悪態は、突然の抱擁で途切れる。
「昔も今も、‥大好きだ、吉兵衛」
抱きしめられたまま、耳元に囁きいれられて言葉を失くす。
「お前は、‥俺を好きか?」
――これは、そう‥貴方が必ず言った言葉。
「松寿様は、俺のことどう思っているんです?」
「え?」
「‥好きですか?」
そんな風に尋ね返された。
答えはいつだって決まっていた。
だって、当たり前だ。
そうじゃなきゃ、あぁいうことを聞いたりしない。
二人の合言葉みたいなものだから、答えはもちろん‥そう。
「お前なんか、大嫌いだ(大好きだ)」
言ったつもりだったのに、出てきた言葉は正反対。
長政は少しだけ、決まりが悪そうに顔を伏せる。
又兵衛が可笑しそうに笑っている。
「見事な嫌われっぷりだな」
子供の時とは大違いだと笑う。
それなのに、何故か抱きしめてくれたまま。
言いたいことを理解したのだろうか?
それとも、まだ子ども扱いなのだろうか?
または‥。
この続けられたままの抱擁をどう受け取っていいのか長政は悩む。
それでも、振りほどけないのは‥嫌じゃないからだが。
終
*10題のお題があまりにも又←長、大膳→忠之だったので、始めてみました。
これがその第一弾。
なんだかんだで又兵衛は長政を「好き」ならいいなって話。
ここの「好き」はもちろん、兄としての好きなんですけど。
というか、又兵衛は長政に泣かれると弱いといいです。
松寿のときからずっと泣かれると弱いといい‥v
Back