『可愛がらせない』

いつだって、その心は儂の為にあった。
まるで忠臣のよう。
手渡された贈り物は部下が儂によこす貢ぎ物となんら変わらない。
ただ違うのは目の前の男が部下ではなく、己の弟だという事だ。

「なぁ、信繁」
「なんですか、お屋形様」
「二人の時はそれは止めろと申しただろう?」
「あ‥、そ、そうでしたね。申し訳ありません、兄上」
ほら、その顔だ。
複雑な表情で、困ったように笑う。
何を無理する必要があろうか?
この世にたった一組しかない兄弟なのだ。
「お前はいらんのか?」
「何をですか?」
聞き返す顔は儂の気持ちにちっとも気が付いてはいない。
「昔から、次郎はそうだったな」
「は?」
「子どものくせに、父上からの贈り物を儂などに贈りおって。
可愛くない子どもであった」
少しばかりの皮肉だったのに、弟は笑った。
「そうですね。私も自分の息子がそうだったら、可愛くないと思いますよ」
「そうではないのだ‥儂が言いたいのは」
「え?」
「お前はそれで幸せだったのか?」
儂は別に構わなかった。
父上に忌み嫌われていた分、儂を想ってくれた人はいた。
その中にこの弟もいたことになるが、儂はもっとこの弟を甘やかしたかったのだ。
あまり会う事のない弟。
その姿を見るたび、遊んだり、話したりしたいと思ったものだ。
それがこちらが甘やかす前にあっちから恭順してきた。
呆気にとられた。
なんと、賢い弟かと‥驚きもした。
そして、なんて‥可愛がりにくい弟だろう‥とも。
「私は、兄上が幸せなら何も必要ありません。
私が願うのは兄上の天下。それを見る為に私は戦い続ける。
そして、兄上の為に死にましょう。死は怖くはない。
この身全て、お屋形様のものであれば何を恐れる必要がありましょうか?」
「‥それがお前の答えか?」
「はい」
なんて‥可愛がりにくいのだろうか。
お前の屍を土台に天下は取りたくないという兄の気持ちは無視なのか?
しかもそれを言わせる隙がない。
まったく、可愛くない弟だな、お前は。
「信繁」
「はい?」
「儂の天下を見るまで、側を離れるではないぞ?
お前は儂の右腕じゃ。もがれると京には行けぬ」
「はっ」
何処までお前が分かったのかは分からない。
もしかしたら、お前は裏切るかも知れないな、約束を。
お前はいつだって、儂の事以外どうでもいいのだから‥。

***

それは突然だった。
川中島で陣を張っていた儂のところにその知らせは届く。
「典厩様、討ち死になさいましたッ!!」
「何ッ!?」
うちじに‥?
あまりの事に、にわかには信じがたかった。
「信繁が‥か?」
「はっ」
「‥まさか」
目の前が真っ暗になって、思わずよろめいた。
「お、御屋形様!?」
「いい、気にするなッ」
支えてくる手を振り払い、陣幕の外へ出る。
「信繁‥」

(はっ、御屋形様ッ!)

そういう声がいつもはするはずなのに、今日は返ってこない。
「何処へ行ったのだ、次郎‥ッ」
側にいると言ったではないか。
お前は儂の右腕だと言っておいたではないかッ!!
「これでは天下など取れぬぞッ、次郎!」
叫んだが、何も返っては来ない。
ただ後に知った事は、無事我が軍が引けたという事‥。
信繁の勇敢な働きのお陰だと皆は口々に褒めるがそれはどうだろうか?
儂はそうは思わない。
大切な弟と引き替えに、命が無事でも嬉しくはない。
「それでも儂は主君だから、 お前と民や兵士を秤にはかけられぬな‥」
お前はそれを知っていて、こうしたのだろう?
儂が決してお前を守れないと知っていて‥。
「可愛がりにくい弟よなぁ‥次郎は」
見返りは要らぬと‥そう、申すのだな?
「せめて、一度くらいはこの兄に甘えてくれて良かったのだぞ、次郎」
堪えきれない涙が一粒、頬を零れた。

*新田次郎氏の「武田信玄」読んでいて思いついた話です。
 信玄の本をあまり読まないので、 どんな風な話にするか結構悩みました‥(ダメダメ)
 逸話集とか読むと信繁は完全に部下な姿勢だったようだし、
 じゃあ信玄は信繁にどうだったんだ?というコンセプトから考えてみました。

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